顔真卿の後
2月に始めた初心者の臨書はまだ続いている。書くのが面白くなってしまったのだからしょうがない。
5月は一か月間顔真卿ばかり書いたが、自書告身帖と裴将軍詩(はいしょうぐんし)が何とか書き終えたので一区切りついた。
自書告身帖の最初の2ページ
文字を左上向きにそろえる願法(顔真卿の書法)を一応習得できた気がする。
裴将軍詩の最初の2ページ
裴将軍詩の最後の2ページ
裴将軍詩はかなり苦労したが、最後まで書いたことで屋漏痕などの顔法に関しても少し自信がついた。
また顔真卿に関しては祭姪文稿を書ききったことで精神的に一区切りがついた。
この書は顔真卿の人間が強く表れた書で、感情を移入して書かざるを得ず、書き終わった時に涙が出てきた。臨書を通じて強い共感を覚えた。
次に何を臨書するか?が問題になった。
5月の連休頃やってみてうまくできなかった青山杉雨の臨石鼓文に再挑戦してみると、今度はなんとかなることが分かった。顔真卿のお蔭だ。
(古代の意思に刻まれた「石鼓文」を青山杉雨が独自の書法で臨書したもの。臨書の臨書ということになる)
金文あるいは篆書という書体を青山が現代風に書いたもので、筆先がそれぞれ異なるので味があるが、かなりの神経と労力を要する。こんなものがさらさら書けるようになるには、よほど書き込む必要があるだろう。
現代の書は古代の金文や篆書に立ち返ってオリジナルの書体を追求することが多いので、次の写真のようにただ金文をそのまま書いても意味がない。そこから何らかの創造が必要になる。それはまだ先の話だ。
行きつけの書道専門文具店の古本コーナーで董其昌と呉熙載という明と清の時代の書家のテキストが面白そうなので買って書いてみたが、それほど大した字ではなかった。
次の写真は呉熙載の東方朔画賛の出だし 書体としては面白い。全部臨書したがスペースの関係で調略する。
董其昌の邪風図詩巻は王義之の亜流ながら流麗で美しい書体だった。
次の写真は酒徳頌の最初の2ページ
6月11日に『日本の書展2021』というのを新国立に見に行き、どういうわけか今まで興味のなかった「かな書」に感銘を受けた。
次の写真は田頭央が(さんずいに我)氏の「久しくも見ざりし海をふるさとの 鏡のごとき海を見はらす(清水比庵)」
1m以上の大きな紙にこのように凛とした切れのある長い線をが書けるものかと驚いたし、粗密が非常に美しい。しかも背景に海の青と白波が描かれていて、波の音が聞こえてくるようだ。和歌と響き合っている。これはうなった。万葉仮名なので読みやすくはないが、日本語の表現として光っていた。
次の作品は吉川美恵子氏の「今もよし昔も恋し 老いの春(富安風生)」
これは上の作品とは逆にぼそぼそっとたどたどしく見える字なのだが、まさに句の感情に寄り添っている字だ。3行目だけ見ても「老いの春」とは読めないかもしれない。しかし非常に味がある。粗密も美しい。この短い歌にはすっかりやられてしまった(非常に共感してしまった)。
という事で、突然「かな」を始めることにした。もともとはあくまで「教養」のつもりで初めて半年ぐらいしてから少しやるかな、ぐらいのつもりだったが、(いずれ書く自分の)作品は《読める日本語》でなければならないのではないか?とはたと思い始めたからだ。外国語で終わりたくはないとも思う。そもそも和歌も俳句も日本独自のものだった。
ではあるが、書き始めているものの、王義之や顔真卿とは違い、進展は遅々たるものだ。高野切(こうやぎれ)と関戸本(せきどほん)の(古今集の)臨書を始めた。(テキストはなぜか以前自分で買って持っていた。どっちかというと読めるようになるためだが…)かみさんによると難易度があって初球が高野切、関戸本は中級、継色紙は上級という順序があるそうだが、そんなことは知ったこっちゃないので、高野切や関戸本に飽きると継色紙や紙捻切(この字のキレが好き)をやってみたりする。
最初は一筆で和歌一首を書くのに苦労したが、3,4行なら墨をつけずに強弱をつけながら書けるようになった。
問題は字が分からないことだ。原典テキストの次そのものがかすれて見えない字もあり、あいうえおというひらがなでなく万葉仮名という感じを崩してあいうえおに当てはめているものなので、どの漢字の崩しを当てているのか判明しないと書けない。日本語なのに書く方は書けても読めないという事もある。ということでかな書は当分時間がかかりそうだ。
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