顔真卿に浸る

 2月に臨書を初めて5月末で4か月になった。というか本格的に書道と言えるものは10年ほど前の篆書マイブーム以来で、行書草書を自分の意思で書くということは生まれて初めてのものだ。(小学校の授業では多分楷書しかやっていないはず)
 にもかかわらず、4月までの3か月で王義之の蘭亭序を太筆と小筆で書き終わり、智栄の真草千字文も書き終え(前半半分は太筆、後半半分は小筆)、空海の風信帖の3帖も一応書けたので、5月から顔真卿を始めた。
 筆者の臨書は基本的に小筆で書いてある通りに書く。途中文字の大小があればそれをそのまま描く。太筆で半紙に4文字、6文字抜き出して書くなんて小学生みたいなことは一切しない。抜き出しは臨書ではないと考えている。

 保健活動推進委員のかみさんによると1日9時間半以上座っていると他に運動(散歩程度の中程度の運動週150分)をしていても死亡リスクが高まるという(明治安田厚生事業団・体力医学研究所・甲斐研究員の報告から)。筆者はこの1ヵ月の間に、ちょっと死亡リスクを高めてしまったかもしれない(汗)。

 顔真卿の行書・草書の傑作・祭姪文稿、祭伯文稿、争坐位文稿は文稿というぐらいで清書でなく原稿なので途中で書き加えがいくつもあり、ぐちゃぐちゃといっていいテキストなので最初は泣きが入った。王義之の蘭亭序も一度書いた字の上から収支のため太字で書き直したりする部分もあるにはあるが、せいぜい数文字程度だ。しかし争坐位文稿などは下にテキストの一部を示すように入り組んでいて複雑であり、とてもすらすら臨書できる代物ではない。事前にテキストを読み込み、付箋を貼るなどして慎重に準備する必要がある。
テキスト例S.jpg
(白黒逆転しているのは、推敲中の原稿でも顔真卿の書を貴重と考えた当時の人が当時の高名な専門家に石に忠実に彫らせてその版を後世に残したため。これを刻本という)

 泣きが入るほど臨書しにくい。
 にもかかわらず、書いてみるといい字なのだ、これが。
 書いても書いても、書きたくなる。どういうことなのだろうか?
 それだけ魅力的な字なのだろう。
 3か月前、蘭亭序を小筆で終わりまで全部臨書し始めたころは、これは「修行」だと感じたのだが、書くのが楽しく、1日として書かずにはいられない、という状況だ。もはや修行でもなんでもない。

 5月からは孫過庭の書譜も始めた。誰もが《草書の基本の勉強は王義之の十七帖と孫過庭の書譜》と言っているのでそれに従って始めたのだが、王義之の優雅さもなく文字の大小や引き延ばしなどの遊びもなく創造性のないつまらない字で、10ページほど臨書して大体分かってしまった。つまらない。1日5ページでも書けるから10日で終わりにできる。草書は王義之の方が文字の大小や曲線が優雅で変化に富んでるし、その息子の王献之の方がさらに面白みがある。なんといっても草書では懐素の「狂草」が断然面白い(筆者の個人的な見解)。

 だから5月の後半からほとんど時間がある限り顔真卿ばかり書いている。(時々煮詰まった時は王義之の草書2を順に書いている)
そしてようやく三つの傑作の最後まで書けた。

1)祭伯文稿(さいはくぶんこう)
 逆族の反乱を共に鎮めようと戦って亡くなった伯父を悼む追悼文の草稿。同じ戦で惨殺された姪を悼む追悼文・祭姪文稿の1か月後に書かれたというが、落ち着いていて字が整っており臨書しやすい。がっちりとした字だが穏やかな心境で書かれている印象。テキストは4行ずつで8ページ、8行を半紙1枚に書くので4ページと手ごろな長さだ。次の写真はその臨書の最初の2ページ。まだまだまっすぐに字がそろってはいない。

祭伯文稿1+2pS.JPG
(冒頭の1行は顔真卿らしい篆書で、本来なら篆書用のイタチの毛の筆で書くべきだが、1行だけ書いて筆を洗うのも手間なので全て柔らかい小筆で書いている。イタチの毛主体の唐筆は墨を落とすのに神経を使うため時間がかかる。)

2)争坐位文稿(そうざいぶんこう)
 争坐位文稿は時の権力者が百官集会という集会の際、公式の席次を曲げて好き勝手にしたことに対する抗議文の草稿。(顔真卿は高級官僚だったが、実直で曲がったことを嫌い公然と相手を批判することから疎まれ、地方を転々をさせられた生涯を送っている)
 5月31日ようやく最後のページまでたどり着いた。1行に25、6文字ぐらいの小さい字も書けるようになり、半紙1枚に10行というページもある。こうなると1枚30分どころか40~50分ぐらいかかる。集中していてもちょっとした見落としで脱字が生じてしまうので、なかなか修正版ができず、まだ完全版ではない。
 次の写真は半紙8枚のうちの4ページ目、5ページ目。
争座位文稿4+5pS.jpg
 当初は文字の大きさを全部揃えてきれいにしようかと試みたが、小さい字書き込みの字は小さい字を意図して書いているのですごい略字をしたり略記体をわざと使わず楷書体を使ったりしており、大きくすると不自然になってしまう。なので小さい字はそのままにしている。普通の字も大きい字もあるのでサイズが3種類混じるようなページも出てくる。

3)祭姪文稿(さいたいぶんこう)
 伯父と同時期に戦いで虐殺された姪の追悼文の草稿。これは真筆が伝わってiいる。真筆が一つもないとされる王義之とは異なり、1300年伝わっている重みがある。しかも、一気呵成に書ききるような筆跡で感情がにじみ出ており、顔真卿という人物が直接伝わってくる。字の不自然な傾きも変えることができない。
 これは3つの中で最後に書いた。文字が生々しく、心の準備が必要と感じたからだ。
祭姪文稿1-3pS.JPG

 墨がなくなってかすれようがどうしようが関係なく2行にわたって墨をつけずに書き続けたり、字を異様に太くして強調したりして、感情がうねっている。とてもじゃないがマネできないし、真似すべきものでもない。軽々に臨書すべきものではなかったかもしれない。
 しかし一気に書ききってみると、何故か突然涙があふれ出てきて、それに我ながら驚いて呆然としてしまった。
こういう経験は長年ヴァイオリンを弾いていても若いころに一度しかなかった。(最も感情移入して練習したのはDebussyのヴァイオリン・ソナタだったのかもしれない)

4)裴将軍詩(はいしょうぐんし)
 5月上旬に一度試しに書いてみた時ボロボロだったので全く手を付けていなかったが、祭姪文稿、祭伯文稿、争坐位文稿が一応最後まで行ったのを機に、再チャレンジしてみた。太筆は20日間ぐらい触っていなかったが、屋漏痕(おくろうこん)が多少はできる気がしていたからだ。(筆をぐぐぐぐぐぐと少しずつ、しかし力を入れずに動かす筆法。それをすると書き終わった紙を裏返した時、表と同じ濃さで字が浮かび上がる。小筆では顔真卿の楷書ぐらいしかない)
とりあえず最初の4ページまで書いてみた。
裴将軍詩1+2p.jpg
裴将軍詩3+4p.jpg

 行書・草書に篆書の要素を加えた『破体書』とよばれる書だ。なんだかへたくそな字に見えるかもしれない。実際筆者の字はへたくそなのだが、顔真卿の字には力がみなぎっている。1ページ目の「軍」の中の長い縦画や「六」の字の横画などすうっと流して引いているのでなく、屋漏痕でぐぐぐぐぐぐと小刻みに筆を動かしながら進めるので表情豊かな直線になる。まさに現代の書を先取りしたような、誰もが王義之に倣えとしていた当時としては極めて異質な作品だ。
 この《ぐぐぐぐぐぐ》は結構集中力を要するので疲れる。1ページ目だけで15分かかりへとへとになったが、さらに頑張って練習も入れて4ページに100分かかった。
 まだまだ字の形が悪いが、達成感はある。最後の長い「軍」の字は2回目で後半のかすれた縦画を屋漏痕で続けられたのは自分でもびっくりだった。さらに精進してみようと思う。

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